「普通のお母さんなら、もっとちゃんとできるはず」
いつからだろう。
私が目指すゴールが「幸せ」ではなく、
この「普通」という得体の知れない言葉になってしまったのは。
仕事と育児を両立して、家の中も整っている。
あるいは、毎日手作りのご飯を作って、子どもと笑顔で向き合っている。
SNSや近所で見かける「誰か」の切り取られた日常を、
勝手に私のなかの「普通」に設定して、
そこへ届かない自分に、毎日バツをつけていた。
私を苦しめていたのは、私自身の「モノサシ」
「あのお母さんは、あんなに余裕があるのに」
「あのお家は、いつもあんなに綺麗なのに」
誰かと自分を比べた瞬間に、
今の自分の頑張りは、すべて「不十分なもの」に変わってしまう。
でも、比べる相手はいつも、その分野の「完璧な人」ばかり。
料理が得意な人と自分を比べ、
仕事ができる人と自分を比べ、
いつも穏やかな人と自分を比べ……。
そんなの、苦しくなって当然だった。
私が持っていたモノサシは、私を測るためのものではなく、
自分を裁くための道具になっていた。
「普通」なんて、どこにも存在しない
気づいたことがある。
私が憧れていた「普通のお母さん」なんて、
この世界のどこにも存在しない。
どんなに完璧に見えるお母さんだって、
きっと裏では、
山積みの洗濯物にため息をつき、
一人で泣きたくなる夜を越えている。
みんな、自分の場所で、
自分にしかわからない葛藤と戦いながら、
必死に今日を繋いでいる。
「普通」を目指すのをやめることは、
誰かの正解を生きるのをやめること。
私だけの「ちょうどいい」を見つける
誰かにとっての100点じゃなくて、
私と、私の家族にとっての「心地よい点数」を探そう。
惣菜が続く日があっても、家族が笑っていればそれでいい。
部屋が散らかっていても、みんながリラックスできればそれでいい。
私の幸せの基準を、誰かの手に渡さない。
「私は、これでいいんだ」
そう思えたとき、ようやく自分の人生の主役に戻れた気がした。
今日も、あなたらしく歩いた一日
「普通」になれなくて、
「ちゃんとしたお母さん」になれなくて、
それでもあなたは、今日一日を投げ出さずに生き抜いた。
それだけで、もう十分すぎるほど「特別」なこと。
お疲れ様、私。
明日は誰かと比べる代わりに、
昨日の自分より、ほんの少しだけ自分を甘やかしてあげよう。

